日本的競争の本質に迫る2 |
◆戦後の日本は、GATTやウルグアイ・ラウンドなど世界的な自由貿易システムの恩恵のもと、不断の海外市場開拓努力と低価格・高品質の追求により、世界最高水準の工業生産力と経済力を持つにいたったが、欧米を始め世界各国の評判はよくない。
◆恒常的貿易黒字はアンフェアな行為の結果ではなく、自由主義に基づき、自由市場の行動原理に従って行動した結果であり、非難や風当たりは心外との意見が経営者の本音。
◆しかし、日本が非難されるのは、いいものを安く売るからではなく、国内での飽くなきシェア争奪競争を世界市場に持ち込み、現地メーカーを無視して、集中豪雨的に相手の市場に製品を供給、自分たちの利益だけを考え、いくら売り上げを伸ばしても「足る」ことを知らず、根こそぎその市場を奪い取り、生存が不可能になるまで輸出を増やし続けるから。
◆反面、シェア第一主義は、国内および輸出市場が成長し続けている間は、極めて有効に機能した。成長する市場を前提に、量的拡大のための思い切った設備投資を行い、シェアの拡大をはかる。この戦略は短期的利益より長期的利益をめざす、いわゆる日本的経営の真髄として、国際的にも高く評価されてきた。
◆日本は、自分がシェアを取れるときに徹底的に取ってしまわないと、他人にそれを根こそぎ奪われてしまうという恐怖感のある過当競争社会。戦後荒廃の中から再出発した日本の国民生活は貧しく消費は未成熟、技術や設備も貧弱で製品の差別化もままならないこのステージで生き残る唯一の方法はシェア競争に打ち勝つこと。
(シェア拡大→生産量増加→コスト低減→競争力増大→シェア拡大のサイクルを多額の投資で極限まで追求した結果、成長の終焉とともに過剰設備(コストアップ)と一層の過当競争(利益低下)に陥り、目指した付加価値は得られない悪夢のシナリオが待ち受けていたということであろうか)
◆日本民族は稲作農業によって文明への歩みをはじめた。これが民族の基本的性格を大きく規定。稲作農業の特徴は、個人的な努力よりも共同体全体の集団的な決定が優先する、いわゆる「ムラ社会」。厳しい自然環境の中で人々が恵みを求めて移動しつつ家畜を養う遊牧民の社会では、少数の指導者が集団をリードし、それで全体の運命が決まる。
◆内部の成員に対して、常に調和的で平和的、かつ平等であるように強制する共同体は、外部に対しては、きわめて闘争的、競争的で、ときには残忍な行動さえも。
◆稲作農業とともに発展した共同体の論理は、近代まで引き継がれた。明治の近代化過程で自由の観念は導入したが、個人主義は受け入れられず。日本人は自由を個人ベースでなく、「集団=ムラ」ベースの競争として受け取った。
◆日本人が自由というとき、それはしばしば「何をしてもよい」と同義だが、欧米では自由は「何をしてもよい」を意味しない。日本が世界市場に組み込まれた19世紀は、西欧でも特殊な古典的自由主義の支配する厳しい弱肉強食(バーバリアン・キャピタリズム)の時代であったが、それに先立つ資本主義の勃興期にはプロテスタンティズムの倫理が厳然と存在した。(勤勉、節倹、隣人愛等)
◆欧米の自由主義には、そこに生きるものを根絶やしにしないという抑制原理が内在し、そして自分たちが生活していくのに必要な物しかとらない、必要以上に貪らないという社会的ルールが存在。
◆京都の老舗の伝統商法は品質と個性の競争。質の違いで独自市場を形成し「棲み分け」を行う。必要以上に働くこともせず文化を育む余裕も。この伝統商法の教えと現在の日本企業の行動との基本的な違いの一つは、独創か模倣かということ。日本企業の模倣体質、横並び体質がシェア至上主義と過当競争を生んだ。
◆模倣体質は、水田稲作農耕(同時期の一斉行動と集団の和と勤勉さ)、明治の近代化過程(舶来品・文化の偏重)、戦中・戦後の統制期以来の政府の産業管理と保護等により定着した。
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