日本的競争の本質に迫る3


3.疑似社会主義国家日本
   西部邁著(講談社刊)「成熟」とは何か−新政経学のすすめ−より

<成功せる社会主義としての日本的集団主義>

◆社会主義は、民主主義の純粋型というより近代主義の純粋型。社会主義の理念は産業をより合理的に編成することと、それから得られる物質的恩恵を人民の間により平等に分配すること。この理想を経済における計画主義と政治における独裁主義によって達成しようとしたのが社会主義。結果、市場機構とと民主機構の後塵を拝した。

◆「日本的経営」は集団と個人との間の緊張をできる限り極小化しうる集団運営&個人生活法で、あらゆるイデオロギーに対応でき、内的に安定している。内的安定性を存分に発揮することで、日本的経営は産業制と民主制を目覚ましく発展させてきた。

伸縮的集団主義…集団において個人の自発性は抑制されてはいるが、封殺されてはいない。反面、諸個人の不平や不安を押さえ込むような強力な集団的規律がない。
相互的個人主義…個人にあって集団への帰属は推奨されてはいるが、強制されてはいない。反面、集団から離れて独個で生きるような強い個人的人格が形成されていない。

◆日本的経営の発揚ぶりは、「成功せる社会主義」の見本。さらにその経済的成功における官僚機構の、その政治的成功における長期単独政権を誇る自民党の役割を勘定に入れれば、戦後日本は疑似社会主義といっても誇張でない。

◆産業制と民主制の成功は、その成功の根幹であった伝統を掘り崩し、ある臨界線を超えれば集団と個人のあいだの安定性は失われる。バブル現象は社会が動揺過程に入った証左。ひとたび動揺にさらされれば、その動揺を進んでくい止める強い集団も個人もいないため、日本的経営の瓦解には歯止めが利かない。

◆外的不安定性を内外に次々と露呈し(外圧に弱い)、伸縮的であった集団主義が単なる規律主義に、相互的であった個人主義が単なる利己主義へと堕落。

◆フランス革命の理念、「自由・平等・友愛」の裏面では、それらに対する対抗、補完価値として自由には責任が、平等には格差が、そして友愛には競合が控えている。これらの拮抗関係のなかで平衡を保持するには「秩序・公正・(意志)疎通」の理念が必要。

◆強い個人主義はホンネにおける個人性と集団性のあいだの葛藤を処理するものとしての非公式のモラルと格闘する過程で鍛えられ、強い集団主義はタテマエにおける同様の葛藤を処理するものとしての公式のローと確執を演じる過程で育まれる。

◆ルールとは様々な種類の矛盾、葛藤、背反をともなう人間生活と人間関係に平衡の支点を指し示すもの。マナーやエチケット、慣習法、さらに道徳をも包含し、その形成は本質的に歴史的性格を有する。

◆モラルやローといったルールの体系が著しく曖昧になった戦後日本は、しょせん「ひよわな花」を咲かせておしまいに。日本の文化パターンはその成功ゆえに融解しつつある。社会主義における崩壊の模様は、疑似社会主義日本の他山の石。
(97.02)


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